7/29から8/4において、かみさんと車で四国をツアーして周った。
年来の思いはあったが、どうとでもなる見通しからか割と思いつきのようではあった。
7/29朝、自宅発。
その日のうちに淡路島へ。
交代しながらではあったが、運転だけで予想通りに疲れた。
ツアー中で最高級のホテルに泊。他になかっただけなのだが。
翌30日は移動と観光の日。
淡路島で頭に浮かんだ「断層」と「高田屋嘉兵衛」を訪ねて回った。
あなご飯を食べて、昼過ぎには四国に上陸した。
美馬のスーパーで買い出しをして、剣山 木綿麻温泉に入り、酷道といわれる438号をたどって剣山の観光登山リフト近くの駐車場(無料)にたどり着く。
雨の予想もあったので屋根を求めて2階建ての1階部分の駐車場に泊めたが、結局降らなかった。
7/31は剣山登山。
リフトは動き出しの時間が9時と遅いので、7時ごろ登りだす。
コースタイム短めなので、ゆっくりの出とした。
それでも、登りだす人は他にいなかった。
植生保護のためか、道だけでなく平らな部分も板で覆われていたのが目についた。
頂上ヒュッテ付近からの眺望はすこぶるよく、四国の好展望地であることを実感できた。
下山はリフトを使ったこともあるが、あっという間に思えた。
7時過ぎに登り始めて、10時頃には車に戻れた。
下山後は高知に向かう。
やはり酷道とされる239号をひたすら西に向かう。
道すがら日本離れした現実の日本の光景が深く印象に刻まれた。
昨日に続き、山間の部落というものを垣間見た気がした。
大豊ICから高速道に入り、桂浜にまず行ってみる。
道を間違え、インターですったもんだしたが無事行きつけた。
そこから高知市内へ。
高知城近くのホテルに泊まることにする。
8/1は高知城歴史博物館から。
ここから貴重な現存天守巡りを始める。
若き日に自由民権運動に携わった牧野富太郎の足跡を記す特別展が催されていた。
NHKの今年の朝ドラの主人公で、何かと宣伝されている植物学者・牧野富太郎だが、意外な側面を知ることができた。
イオンで買い出しの後、吾北むささび温泉に立ち寄って汗を流し、194号線から長沢貯水池沿いの県道40号線をたどる。
驚くべき集落をいくつか目にする。
どうやって生活が成り立っているのか!
登山以上に興味を駆り立たせられた。
この地域は宮本常一ら民俗学のフィールドであったことを思い起こした。
しかし、それも今は昔では?
ちょっと想像を超えていた。
ともかくも日没前に土小屋登山口までたどり着く。
ここでも快適な車中泊ができた。
8/2は4:30起床で行動を起こす。
5:40頃石鎚山登山をスタートする。
土小屋ルートはメインの成就ルートよりだいぶやさしいようで、急勾配もなく分岐となる公衆トイレまでの道はよく整備されていた。
しかし、そこからの鎖場道はなかなかのエンタメ系で、登頂が目的であれば何もここを通らなくてもという感のルートだ。
やっと求めていたものに出会え、ぐいぐいと高度を稼ぐ。
鎖場道から3ノ鎖を見上げるところに立つと、圧倒されるものを感じた。
長さや斜度もさることながら、そこに複数かけられた異様に太い鎖の有様に古の人々の信仰心というか執念というか、ただならぬ思いを感じた。
正直想像以上ではあったが、登り始めると気持ちよくぐいぐいと登れてしまう。
濡れた鎖に多少警戒しつつ、気分はすこぶる上がる。
クライミング経験がないと相当の難易度になるだろう。
Ⅲ級ぐらいではあろうが多くの人により磨かれていてホールド・スタンスが良くないところもある。
立ったところは鎖なければロープが欲しいところ。
難しくはないが、怖さはある。
あいにくの天気ではあったが、幻想的でこれはこれでよかった。
下方が見にくかったのも良かったかも。
なんのことはない。
山梨の日向山で若者たちを見下した行為を自分がやっている。
天候かタイミングか、人はほとんどおらず、貸し切りといって様相。
ラッキーだった。
10時過ぎに無事に土小屋着。
モンベルの売店でジビエの猪肉を使ったホットドック(といっていいのか)を食べたが、美味しかった。
時間があったので、四国カルストに立ち寄ることにする。
ただ、下山後から折あしく雨が降り出す。
四国らしい林道を通り抜け、やっとたどり着いた四国カルストではあったが、爽快な光景はなく、ただガスった景色に点在する石灰岩といくらかの牛を目にするのみであった。
ほぼ通過で四国カルストを後にする。
国道440号に出ると、これまでの道が嘘のように走りやすい道となった。
梼原町のスーパーで買ったチヂミとジビエ肉の燻製で昼食とする。
安いのに旨い。
この日は宇和島駅近くのビジネスホテルで泊。
夕食は地場の名物である鯛めしとした。
すぐ近くの店が有名なようなので歩いて行く。
ご飯がこの上なく進み、炭水化物を食べすぎてしまった。
8/3は宇和島の史跡巡りから始めた。
宇和島市立伊達博物館からオランダおい ね三角屋敷跡、大村益次郎住居跡を巡った。
神田(じんだ)川沿いの道は私の大好物の作家である司馬遼太郎や吉村昭が好んで散策したという。
宇和島城はちょっとした山登りの感もあったが、小ぶりながら厳としたたたずまいが何とも好ましいもののように思えた。
酷暑の日であり、人はまばら。
それが良かった。
帰路の通り道で大洲を通るとあれば大洲城は外せない。
今生の思い出として立ち寄ることにする。
しまなみ海道も考えたが、こうなったら丸亀城もと思い至るのは自然なこと。
前夜に予約した丸亀近くの宇田津の宿まで走らせることに。
大洲からでも結構な距離と走りごたえがあった。
四国の上辺を沿ってきたようなものだ。
ホテル近くの讃岐うどんを食して休んだ。
8/4はまず丸亀城に向かった。
これで四国の現存天守にはすべて行ったことになる。
丸亀城は極めつけ興味深い城郭だ。
街に往時の面影はないが、ここには天草の富岡城にあった戦闘城郭の匂いがした。
長い道のりがあるので、見るものを見たら給油をして瀬戸大橋へと赴く。
途中、三木のSAで食事をとり関西を抜ける。
名古屋あたりでも、先だって訪れた御在所のスタートみたいなものだ。
まだまだ先は長い。
いくらか渋滞もあったが、それほど遅くならずに帰宅できた。
夕食は自宅で済ませた。
今回は往復2000㎞を越える旅であった。
こんなスタイルは震災前の東北クライミングツアー以来だが、なかなかに面白かった。
かみさんが運転その他、多大なるサポートをしてくれたことが今回の肝であった。
クライミングを絡めなかった寂しさはあるが、山と城・史跡巡りに絞ったのが良かったのかもしれない。
頭真っ白で日々を過ごし、純粋に旅を満喫できた。
PS:今回も思った。旅の成果は多分に巨人の肩に乗っているがため。
意識・無意識に関わらず莫大な情報とインフラと研究成果の賜物だと。
それらを消費しているに過ぎないのだと。