高野山と和歌山城への土日での旅

5/25(土)~26(日)で高野山和歌山城をかみさんと訪ねた。

 

2月に5月中までの利用対象でJALのバーゲンがあり、行くのだったら関西空港経由で和歌山あたりかなと思いそれとなく調べていた。

 

すると比較で見てみたANAの早割の方が安いとわかってしまった。

強い目的もなく、つい航空券を購入してしまった。

 

往路の機上から見た富士山

関空からなら和歌山だけだと持て余しそうで、高野山まで足を伸ばすことにする。

高野山は日本史の上では外せない重要なスポットであり、外国人を始めとした大勢の観光客で人気のスポットだ。

 

機上から偶然見えた紀ノ川と和歌山城(中央右の緑地)

南海電鉄のデジタルチケットを駆使して、関西空港駅から天下茶屋経由で橋本~極楽寺と鉄道でたどり、ケーブルで高野山駅、バスで苅萱堂前へ。

 

ここまで特急券以外はデジタルチケットですべてこなせた。

苅萱堂前から近くの食堂で腹ごしらえし、奥の院を巡ることにした。

 

高野山奥の院一の橋前

戦国期から近世の歴史が好きな人ならたまらない、有名無名の大名や有名人の墓がそこかしこに立ってる。

 

豊臣家の墓

苔むして渋いたたずまいが歴史を感じさせるのだが、一方でぬぐいがたい違和感を感じてしまうのは如何ともしがたい。

 

織田信長らの墓

権力者やそこに近い人たちの欲を結実させたといってしまえばそれまでか。

織田信長に至っては「なんでここに?」と思わずにいられない。

 

奥の院参道周辺は無数の墓地

ひしめく墓石群からはむなしさばかりが漂ってくる。

戦没部隊や大手企業の墓碑からは一層その匂いが強い。

 

戦死者数の中に兵士を含めていない(将校だけ?)としか思えない表示もあった。

妙に大きく、顕示する様は私の好むところではない。

 

金剛峯寺中門の後ろは金堂と根本大塔

高野山霊宝館で貴重な展示物を見た後で、壇上伽藍を見学する。

どこを見ても歴史的価値は素晴らしいと思うが、観光寺である事実は否めない。

 

この日は普門院という宿坊に泊まる。

自分たち以外はみな外国人(すべて欧米系)とのこと。

 

宿所とした普門院の庭は小堀遠州作と伝わる

翌26日は普門院で朝のお勤めに外国人と一緒に参加。

見学といったところか。

 

金剛峯寺四季の中庭は枯山水

25日に時間切れで行きそこなった金剛峯寺の主殿を見学する。

歴史は感じられたが、明治の大火後に再建されたものである上に今も使われている施設だけに現代臭がしてしまうのは仕方がない。

 

徳川家霊台の徳川家康霊舎

その足で徳川家霊台まで歩き、そのまま復路とした。

オーバーユースが言われる当地だが、思ったほど混雑はなく済んだ。

 

高野山駅からケーブルで極楽橋

橋本からはJR和歌山線に乗り、各駅停車で和歌山駅に向かう。

下車後、駅近の和歌山ラーメンを食べ、バスで和歌山城へ。

 

和歌山城の石垣は時代ごとで異なる積み方が見られて興味深い

大手門から入って天守に向かう。

様々な積み方の石垣を見ることができてなかなか楽しい。

 

表坂から天守に向かう

国宝だった天守は戦災で焼けてしまったので、現在は鉄筋コンクリートの再建されたものとなっている。

 

和歌山城天守閣 中は展示スペースとなっていて城らしくない

それでも連立式の天守としては姫路城や松山城と並び称されるだけあって一見の価値があった。

 

天主から見ると連立式であることがよくわかる 遠く紀ノ川河口

平山城だけあって、周辺を望むと見通しがきいて景観が良い。

 

紀ノ川上流方面 高野山方面は右手奥といったところか

中央構造線に沿って紀ノ川周辺は開けており、市域をなしている。

橋本からの車窓は、南北の山に挟まれたそれとなく同じような風景であったことを思い浮かべた。

 

同じ敷地のわかやま歴史館に立ち寄り、時間を見て和歌山駅関西空港と戻っていった。

 

関西空港で初めて見たカームダウン・クールダウンスペース

15時40分発の便で羽田に向かう。

 

帰路でも富士山がかろうじて見えた

土日で飛行機を使った旅はほとんどしたことなかったが、行けてしまうと充実感とあわただしさとがないまぜとなった印象だ。

 

たまにはこういう旅もありかとは思ったが、もうないかもしれないとも思えた。