今季の沢の集大成として、満を持して恋ノ岐川沢登り+平ヶ岳にトライした。
この行程を前日発ながら1泊2日(8/5~8/6)で計画。
これは自分としては限界へのチャレンジでもあった。
メンバーはいつものかみさん。
今回もこの人のとてつもない力を思い知る事になった。
8月4日(火)の夕刻立って小出ICに向かう。
「日帰り温泉ゆ~パーク薬師」でひとっ風呂浴びてから「道の駅ゆのたに深雪の里」で車中泊。
ここはスーパーやコンビニがすぐ近くで勝手が良かったが、肥料の臭いが立ちこめていて微妙であった。
8月5日(水)。長い1日が始まる予感がした。
3:30頃に起床して一路奥只見に向かう。
霧が長いトンネルの中にも立ちこめ不安な心情をあおられる。
まずは平ヶ岳登山口に向かう。
計画通りに折りたたみ自転車を組み立てて看板裏にデポする。
空はすでに明るく、登山者が何人か行動を始めていた。
とって返して恋ノ岐橋に向かう。
人気の沢だが、平日であることと新型コロナの影響か誰もいない。
あまり雨は降っていないはずだが、心なしか水量があるように感じた。
(結果的に気のせいだった)
しかし、沢旅の出だしは快調で、明るい渓相に心弾む思いがした。
今年は超寡雪であったこともあり、雪渓の心配はなさそうだ。
天気予報や気圧配置からしたら気象状況も悪くない。
街や山でも稜線上は照りつける陽光にもだえ苦しむことであろうが、沢ではその苦しみはない。
ナメ床の長さや水面の美しさは聞きしに勝るもので、日本の自然の懐深さ豊かさをかみしめながら味わえた。
美しさだけでなく不思議な造形物も。
小さな滝でも釜をたたえているところが多く、いくらか魚影を確認することもあった。
釣りも盛んなわけだ。
その魚(恐らく岩魚)を支える生物(蛙や虫の類)もとても豊富そうだ。
釣りはしないので関心の外ではあったが、これが楽しみになり得ることはよくわかる。
それにしても長い。
これまでの練習山行した沢が半日行程ばかりであったこともあるが、なかなか目安の沢の分岐まで辿り着けない。
それでも足並みはそろっており、かみさんは私より荷が重いはずなのに臆することなく滝場でも難なくついてくる。
初日はロープを使うことがなかった。
1泊計画なのでオホコ沢出合よりは上流域へ行きたい。
ようやく着いた時には16時近くになっていた。
ここから少し渓相が変わり、幅の狭いなだらかな河床になる。
なだらかゆえになかなか高度が稼げず、疲労もたまる。
小さな滝や釜を次々越えて、ようやく目的のビバークポイントに達したのは17時をまわっていた。
これまたすばらしいビバークポイントで、上流域で最大の広さがあるであろうか。
河床からの高さがあり、清水の水場も近く申し分ない。
すでに整地跡がいくらかあったが、自分たちのツエルトを設営するにはさらに拡張する必要があった。
また、アブやブヨの類は予想よりは少なかったがいくらかのごあいさつはあり恐ろしい思いもした(アブと一緒にスズメバチが来た。防虫ネットは持っていったが使うことはなかった)。
日没近くではあったが、泊の準備も整い小さな焚き火をする事もできた。
もっとも木が湿っていてすぐに終わってしまったが。
かみさんが背負いあげてくれた様々な食材とビールをありがたくいただいた。
どれも実においしい。
焚き火がないせいかこれまでの泊まりの沢旅のように宴会気分に浸りきれない。
自分が背負ってきた焼酎は少量を口にするのみであった。
ツエルトに入ってまったりモードになると、左腕から指にかけてと左足各所がつり続けてたまらない。
これまでにない異変だ。
加齢、疲労、脱水、ビタミン類の欠乏が考えられたがどうにもならない。
翌日が思いやられたがともかくも心地良く眠ることができた。
星も見えていたので良い天気であることは分かった。
8月6日(木)。昨日同様3時半頃に起床し、出発の支度を調えた。
いつも苦手の朝食だが、意識してゆっくり食べた。
急いだらもどしそうだ。
身体の悲鳴は収まらず、すでに朝から疲れていたがここは踏ん張りどころだ。
天候は良く、登頂に期待が持てそうだった。
かみさんは見たところ万事平気で元気そう。
頼もしい限りだ。
沢幅はいよいよ狭くなり、ゴルジュの様相となる。
スピードを優先して釜を胸まで使って突破することも。
「おはようございます」の水浴びになる。
かみさんはすごく嫌がっていたが。
この頃には体調もそれなりに回復していた。
確かに難しいところはないのだが、ポイントごとにいくらか嫌らしい。
沢全体にへつり箇所が多いが、この頃にはずいぶん慣れて水流につかることも厭わなくなっていた。
常に最良のライン、最適な方法を考えながらの進行は選択肢がいくつかあるが故に気が抜けることなく総合力を問われる。
上流部に来てどうやら沢登りらしくなってきた感じだ。
しかし、疲労もあってか変なところで転んで全身を濡らすことも。
全くノーマークであった1630m付近の滝の巻きでは苦労した。
滝直登は困難で、巻きも両岸が立っており、踏み跡も乏しい。
参考資料にも特に記述がない。
やむなく左岸の(右岸はゴルジュ状だが薄い踏み跡あり)小さな沢状の踏み跡を登ってほとんど視界がきかない藪の中を突っ込み、トラバースするハメとなった。
消耗はしたが、地形を読み込んでうまく枝沢に下りることができ安堵した。
しかし、ここは予想外で時間とパワーを吸い取られた。
かみさんはミスもなく着々と歩を進められていたが、大きな木がかかった滝をのり越える時は2mほどフォールしてうまい具合に滝壺に落ちた。
登攀にフォールは許されないところだが、ある程度深さがある釜の上ならそれも愛嬌になる。
夏の陽光がしっかりとあたるようになっていよいよ稜線が近いことを感じられた。
勝手なもので、陽ざしが強いと足もとの水が心地良い。
それまでは水につかるのはもうけっこうと思っていたのに。
滑った8m滝は簡単に巻けそうだったが、自信があったので登ってみた。
これまでの練習山行で滑りにはいくらか慣れたおかげで何とか突破できた。
しかし、けっして心地良いものではなく、人には勧められない。
クライマックスの上部連瀑群にやっとさしかかる。
その手前で稜線に向かう方が時間的には稼げるが、恋ノ岐川に入ったからには大ナメ滝まではぜひとも登っておきたい。
舐めたものではないものの、比較的容易に突破はできた。
しかし、40mとか50mの記載は全く当てにならず、その倍(30mロープで3ピッチ)はあったように感じたが。
大ナメ滝を登って沢が右に屈曲するあたりが稜線にもっとも近づくところとみて、水を補充してからうっすらとした踏み跡を辿り稜線に向かって藪をこいだ。
なかなか激烈な藪ではあったが、急傾斜はわずかで一心に歩を進めるうちに稜線に達した。
このぐらいの藪漕ぎはこの辺りとしては易しい部類なのだろう。
ようやく稜線の登山道に出たのは11:30頃。
予定より1時間ほど遅い。
それに長らく使ってきたスントの腕時計を藪の中で落としてしまったらしい。
惜しくはないが残念。
かみさんは平ヶ岳へ行く気満々のようなこともあり、ヘッデン下山を覚悟し、空身で平ヶ岳アタックをかけることにする。
左膝付近の筋の痛みが著しく、たまらなかったがストックをうまく使えば歩行に支障はなかった。
さすがに100名山の山だけあって、平日にもかかわらず登山者はまばらながらそこそこ(といっても数人)見かけるようになった。
空身での行動は身も軽く、13時過ぎ頃に山頂部に至る。
平ヶ岳の山頂はその名の通り平なのでどことも言いがたいようだ。
独特の山頂だ。
途中の池ノ岳・姫ノ池あたりもワタスゲやとりどりの花が咲き乱れており、味わい深い景観であった。
写真を撮ってからの下山は充実感もあってか荷物のところにもどるのに早く感じた。
池ノ岳をくだる途中で恋ノ岐川の谷間を眺める。
はるか先から辿ってきたことを確かめられた。
荷物の場所に戻ってからがいよいよ下山の始まりだ。
想像以上に長く感じた。
一般ルートなので道は良く、台倉山までは起伏もあまりないのに遠く感じることこの上ない。
やはり下山路の尾根上でのアップダウンは程度によらず格別だ。
さらに近年のオーバーユースの影響か、登山道がおしなべて荒れていた。
下台倉山以降が著しく、固定のトラロープを思わず使う場所もあった。
ザレたやせ尾根はどうということはないものの、日没がせまっており急ぎ足になる。
18:50頃やっと平ヶ岳登山口に到着。
軽く飲食してから19時頃にデポしてあった自転車に乗って車がある恋ノ岐橋に向かう。
かみさんは本をデポしており、時間をつぶすようだ。
左膝あたりの筋が相当痛かったが、必死なせいか自転車をこぐことはできた。
間もなく真っ暗になるが、自転車のライトと自分のヘッドランプを頼りに12Kmの車道ランを続ける。
当然漆黒の闇で、自分のライトに向かって虫がどんどん来る。
車で往復した時に目安はつけていたが、上り坂はとてもこげるものでなく、押して歩いた。
恋ノ岐乗越を越えたら下りになり、一気に距離を稼ぐ。
途中で携帯通話圏があり、下山連絡だけはしておく。
20:10に恋ノ岐橋に到着。
ようやくの周回ができた。
自転車を折りたたみ、用意してあった水分はしっかりとってから出発。
かみさんに告げた目標の20:30には間に合わなかったが、20:37に到着した。
1人で虫にたかられながら真っ暗な中を待っているのもなかなか辛かったようだ。
温泉はとうてい無理で、ともかくも小出に出て往路と同じ道の駅で休息・仮眠することとした。
あらためて思うに夕立やにわか雨もなく、炎天下を最小限で移動できたことはラッキーであった。
自分たちの頑張りもあるが、好コンディションによったところが大きい。
また、スマホ内蔵GPSによる「ジオグラフィカ」の威力は絶大で、紙の地図も持ってはいたがほぼ使うことなく、スマホが終始頼りになった。
翌日も休みなので、何も1泊で無理することもなかったのだが、現状の実力を知る良いチャレンジにはなった。
往時の体力はないことはよくわかったが、一方で次々と現れる危機対応にそれなりの知恵を使うこともできるようになったものだとも思えた。
身体ボロボロでしばらくは休息が必要そうだ。
充実の夏の沢旅となった。